送電鉄塔写真舘

古そうな鉄柱

所在地:東京都 西多摩郡 日の出町 大久野

 私は西多摩地区が好きで、よくドライブに出掛けます。東京都日の出町の秋川街道を走ると、途中で1回線の秋川線が交差しますが、 ある日信号待ちのときに何気なくその秋川線の奥の方を見ると、1基だけ何やら他の鉄塔とは異質な雰囲気の、茶色い鉄塔があることに気が付きました。
 気になったので、後日、カメラを持って電車とバスでその鉄塔のところまで行ってみました。 このページでは、そのときに撮影した写真を交えて、その鉄塔を採り上げます。


写真No.1658
2009年5月11日撮影 写真No.1658
都道184号線から細い道に入り、少し進んだところから見た様子。画面中央に小さな鉄塔が見えます。

写真No.1659
2009年5月11日撮影 写真No.1659
これが今回紹介する鉄塔です。……いや、鉄柱か? それにしても、ものすごく低いです。

写真No.1664
2009年5月11日撮影 写真No.1664
足元を見ると、基礎がひとつになっています。やはり鉄柱でした。

写真No.1662
2009年5月11日撮影 写真No.1662
表示を確認すると、この鉄柱は秋川線No.37だとわかりました。……建設は昭和59年??? とてもそうは思えません。 もっと古いと思いましたが、実際はどうなのでしょうか……。

写真No.1660
2009年5月11日撮影 写真No.1660
腕金にはオフセットが無く、コンパクトな造りになっています。碍子が4つなので、秋川線は22kVですね。

写真No.1661
2009年5月11日撮影 写真No.1661
安全確保のため、塔体には梯子が設置されています。踊り場もちゃんとあります。
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写真No.1663
2009年5月11日撮影 写真No.1663
鉄柱なので、足元もコンパクトです。

写真No.1665
2009年5月11日撮影 写真No.1665
鉄柱の周りにはフェンスがありません。でもしっかりとノンクライム(ねずみ返し)が設置されています。

写真No.1666
2009年5月11日撮影 写真No.1666
秋川線は1回線ですが、どの鉄塔も2回線化できるようになっています。

写真No.1667
2009年5月11日撮影 写真No.1667
老番方向を見たところ。

写真No.1668
2009年5月11日撮影 写真No.1668
老番側の鉄塔たち。秋川線はNo.37以外はみんな普通の鉄塔です。


 秋川線は66kV大久野線の終点である大久野変電所から出発し、太平洋セメントの工場に受電する送電線です。 この秋川線は短距離の送電線であり、今回採り上げたNo.37は起点の大久野変電所からわずか4基目です。それなのになぜNo.37なのか……。
 ここからは私の推測ですが、秋川線の電源側の大久野線は昔、この秋川線だったのではないかと思います。 大久野線はあきる野市原小宮にある、66kV秋留線の中継点の秋留変電所から出発しています。 秋留変電所から西進し、JR五日市線と並行していきます。 もしこの大久野線が昔は秋川線だったとすると、今回採り上げた鉄柱の地点でNo.37というのも辻褄が合います。 おそらく、秋川線を途中まで66kVに増強し、途中に大久野変電所を設置して増強区間を大久野線とし、以降の秋川線は鉄塔番号をそのままにしたのではないか。 「秋川」という大々的な名称が用いられていることからも、そう考えれば納得がいきます(現在の秋川線区間は秋川や旧秋川市とは関係ないところを通っている)。
 ところでこの秋川線は、太平洋セメントの工場に送電しています。調べたところ、その工場ができたのは昭和4年のことだそうです (当時は浅野セメント西多摩工場。後に日本セメントとなり現在は太平洋セメント西多摩事務所)。 ということは、秋川線はその頃に建設されたのではないでしょうか。そしてこの鉄柱はその当時からの生え抜きである……と。 でも表示には昭和59年と書かれているし……。果たして真相はいかに?


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