所在地:東京都町田市真光寺町
開設年:昭和30年代?
接続送電線と主な接続先(カッコ内の数字は回線数):
275KV電源開発只見幹線(2)(〜多摩変電所〜南川越変電所〜〜〜田子倉発電所)
275KV電源開発佐久間東幹線(2)(〜北相模変電所〜〜〜佐久間発電所)
275KV東京電力東京西線(2)(〜南多摩変電所〜新多摩変電所)
275KV東京電力京浜線1・2号線(2)(〜京浜変電所)
275KV東京電力京浜線3・4号線(2)(〜西横浜変電所〜京浜変電所)
275KV東京電力西北線(2)(〜北多摩変電所)
275KV東京電力港北線(2)(〜荏田変電所〜港北変電所)
154KV東京電力柿生線(2) (〜東山田変電所(1回線のみ分断停止で京南変電所))
154KV東京電力川崎火力線(2) (〜京南変電所)
154KV東京電力南多摩線(2)(〜橋本変電所)
(上の送電線名のうち、青い文字のところはクリックするとそれぞれのページへジャンプします)
西東京変電所周辺概略図
国土地理院発行25000分の1地形図「武蔵府中」

(縮小表示しています。クリックすると元のサイズで表示されます)
 西東京変電所は、電源開発が運営する主要な変電所です。ただし電発の送電線は2つだけで、他はすべて東電の送電線です。 所在地は東京都町田市ですが、変電設備の一部は神奈川県川崎市にもはみ出しています。
 変電所は多摩丘陵の中にあり、しかも周りは全く開発されていないので、変電所のあたりを散策するのは結構大変です。 変電所に近付くには、基本的に東側から、南東側から、西側からの3通りの方法があります。正門に行くには南東側から谷戸(やと)に入らないとたどり着けません。
 変電設備の北側〜西側〜南側が275KV、東側が154KVで、西からやってくる154KVの南多摩線は各送電線の下をくぐっていきます。
 上の図は現在とはやや違うところがあります。現在は只見幹線と京浜3・4号線の交差はなくなり、 それぞれ交差する手前で急角度で曲がり、その先はお互いの元の鉄塔をそのまま流用して、変電所に向かいます。 また、柿生線・川崎火力線は現在は変電所に隣接している東京多摩霊園(府中市の多磨霊園とは別)を迂回するようにルートが変更され、 旧川崎火力線1号鉄塔(甲乙とも)、旧2号鉄塔(耐張)が撤去され、新たに1号鉄塔(新)、2号鉄塔(新)、2-1号鉄塔、2-2号鉄塔が建てられました。
 東京西線と京浜3・4号線のルートを見ると、見事に一直線になっているのがわかります。おそらく両線は元々同じ送電線だったのだと思います。 東京西線は元は西東京幹線で(参考:JAMMITさんの「送電鉄塔見聞録」)、当時の鉄塔は現在の京浜3・4号線と同じ初期の超高圧線タイプです (日野市のJR豊田電車区の1970年代の写真を見て上空を横切る西東京幹線の鉄塔を確認しています)。 なお、地形図では両線は繋がっているように描かれていますが、実際には接続はされていません。
 ちなみに、私は現在の東京西線と港北線も以前はひとつの送電線だったのではないかと考えています。 詳しくはまた別の機会に書きたいと思います。

ミニ特集 〜西東京変電所北側の鉄塔たち〜

 ここの変電所は私の地元ということもあり特に思い入れがあり、撮影枚数も飛び抜けて多くなっています。
 ここでは、変電所の北側に林立する鉄塔たちを撮影したときの写真を公開したいと思います。画像数が多いですが予めご了承ください。

写真No.854
2005年8月29日撮影
この写真は、最寄り駅の小田急多摩線黒川駅から歩いて5分ほどのところです。 手前から奥へ続いている道路は鶴川街道です。この鶴川街道を奥へ1kmほど行くと西東京変電所の正門へ通じる道路に入れます。 今回は手前の交差点を右に行きます。
写真No.855
2005年8月29日撮影
上の写真から右側を見たところ。右端の交差点を左に曲がり、画面奥へと進んでいきます。

写真No.856
2005年8月29日撮影
田畑の中を進んでいきます。

写真No.857
2005年8月29日撮影
早くも遠くに鉄塔たちが見えてきます。

写真No.858
2005年8月29日撮影
谷戸の中を進んで行きます。このあたりは木柱もちらほら残っており、心が和みます。 ここが川崎市だと言うと、驚く人も多いようです。
写真No.859
2005年8月29日撮影
何度か分かれ道がありますが、すべて左側に曲がればOKです。写真は2つ目の分かれ道で、 ここを右へ進んでいくと東京西線7号鉄塔にたどり着けます。
写真No.860
2005年8月29日撮影
東京西線や只見幹線が見えてきました。左から只見幹線No.567、同No.569(元京浜線3.4号線)、東京西線No.3、 只見幹線No.568(元京浜線3.4号線)、東京西線No.4です。
写真No.861
2005年8月29日撮影
3つ目の分かれ道も、左に曲がります。ここをまっすぐ行くと東京西線6号鉄塔や5号鉄塔に行けます。
写真No.862
2005年8月29日撮影
さらに進んでいくと、鉄塔たちが見えてきます。

写真No.863
2005年8月29日撮影
ようやく現場に到着しました。最初の写真の地点から、徒歩で10〜15分ほどです。

写真No.864
2005年8月29日撮影
画面左側が変電所です。

写真No.865
2005年8月29日撮影
最初に目に付くこの鉄塔は275KV西北線1号鉄塔です。ものすごい重角度鉄塔です。

写真No.868
2005年8月29日撮影
鉄塔の主柱は十字型になっています。

写真No.866
2005年8月29日撮影
西北線1号鉄塔の下に建っているのは154KV南多摩線36号鉄塔です。こちらも重角度です。

写真No.867写真No.886
2005年8月29日撮影
各送電線の下を潜るので、とても低いです。

写真No.887
2005年8月29日撮影
手を伸ばせば届きそうなほどです。

写真No.869
2005年8月29日撮影
右は東京西線2号鉄塔、左は只見幹線570号最終鉄塔です。手前を南多摩線が横切っていきます。
写真No.871
2005年8月29日撮影
右は南多摩線35号鉄塔、左は京浜線1・2号線の1072-甲号鉄塔です。片回線のみ支えています。

写真No.872
2005年8月29日撮影
左から西北線2号鉄塔、南多摩線37号鉄塔、柿生線2-1号鉄塔、東京西線1号鉄塔(脚)。
写真No.873
2005年8月29日撮影
変電所北側の部分のうち、画面の範囲で西北線、東京西線、只見幹線が接続されています。

写真No.874
2005年8月29日撮影
その隣で京浜線1・2号線が接続されています。さらに画面奥の方で京浜線3・4号線、佐久間東幹線、もっと奥の方で 港北線が接続されています。
写真No.875
2005年8月29日撮影
東京西線1号鉄塔。斜面に建っています。

写真No.870
2005年8月29日撮影
足元から見上げる。

写真No.880
2005年8月29日撮影
東京西線2号鉄塔と只見幹線570号鉄塔。並んで建っています。

写真No.877
2005年8月29日撮影
只見幹線570号鉄塔。以前はこの鉄塔は京浜線3・4号線でした。茶色い碍子が基本の只見幹線の中で、 白い碍子なのがそれを物語っています。もし碍子が交換されたら、茶色い碍子になってしまうのでしょうか……。
写真No.885
2005年8月29日撮影
その鉄塔を囲むフェンスに取り付けられている表示板。こんなところで川越の文字が見られるとは…。
写真No.881写真No.884
2005年8月29日撮影
南多摩線35号鉄塔です。

写真No.878
2005年8月29日撮影
No.36同様、低いです。

写真No.879
2005年8月29日撮影
高い鉄塔は京浜線1・2号線1071号鉄塔です。その下を通るのは京浜線3・4号線で、こちらは以前は只見幹線でした。 そのためこの鉄塔は頭の部分が黄色くなっています(この近辺の鉄塔は、電発の鉄塔のみ頭頂部が黄色く塗装されている)。
写真No.883
2005年8月29日撮影
南多摩線34号鉄塔。今回の撮影で最も奥まで進んで撮った写真です。木のトンネルをくぐって、気が付いたら体中がくもの巣だらけになっていた…。 このあたりはタヌキ・マムシ・野犬もいる、ちょっとした秘境(?)です…。左下に写っているのは京浜線3・4号線の鉄塔です。 只見幹線のルートに割り込ませるため、直角に曲がる鉄塔に建て替えられました。
写真No.876
2005年8月29日撮影
のどかな風景…。おそらく川崎で最後のまとまって残った谷戸の風景でしょう…。一般の人にとっては鉄塔が無いほうがいいとは思いますが、 鉄塔好きな人にとってはこのほうが一番心が落ち着くかも知れません。少なくとも私は…。
写真No.882
2005年8月29日撮影
奥のほうから全体を見渡す。肥やしのにおいが鼻をついてちょっときついです…。

写真No.888
2005年8月29日撮影
ここからの画像はちょっと趣旨からはずれますが、お許しください。画像は変電所の東側の、ある道から撮影したものです。 写っている鉄塔は左が西北線4号鉄塔、右が柿生線4号鉄塔(川崎火力線併架)です。
写真No.889
2005年8月29日撮影
この道を進んでいくと、小さな電灯用の木柱が3本並んでいました。そのうち真ん中の1本だけは今も現役で活躍しています。
写真No.890
2005年8月29日撮影
その木柱に付いている小さいプレートを見てみると、どうやら昭和42年に建てられた(立てられた?)ようです。
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